マリリンモンローのファッションと美容法について
マリリン・モンローのファッションや美容法は?
1 マリリン・モンローってだぁれ?
2 マリリン・モンローのファッション
3 マリリン・モンローの美容法は?
没後50年経っていますが、2018年現在でも人々の意識から消えない、元祖セックスシンボルとして人気だったマリリン・モンローのファッションや、美容法についてまとめてシェアしていきます!
マリリン・モンローってだぁれ?
まずは、簡単にマリリン・モンローの人物像をご紹介していきましょう!
非常に複雑な環境で育ったマリリン・モンローは、1926年6月1日生まれ、亡くなったのは1962年8月5日、36歳という若さで公的には自殺したと言われていますが、暗殺&陰謀論が根強く残っている死でもあります!
本名は、ノーマ・ジーン・モーテンソンです!
ロサンゼルスで生まれ育ったマリリン・モンローは、孤児ではなかったのですが、母親が精神病を患い入院し、友人女性に預けられたのですが、彼女が結婚するのを機に孤児院や里親の元へ送られ、ネグレスト&性的虐待を受けながらたらい回しにされるように育ちました!
父親違いですが、7歳年上の姉がいます!
当時のアメリカでは、里親になった人に補助金などが出たため、これを目当てにろくに面倒もみないのに里親になる人が多かったと言われています!
15歳のときに性的虐待で妊娠、出産しますが、このとき生まれた女児はすぐに里子に出されます。
16歳で母親の家の近所に住んでいたジム・ドハティと結婚、彼の職業は航空機製造会社の整備工として働いていましたが、後に海軍に徴兵され輸送船団に乗り込むことになりました。
そのため、マリリン・モンローは自立をする道を歩むため、航空機部品工場のレイディオ・プレーン社に務めるようになります。
1945年にマリリン・モンローは工場で働いていたときに、陸軍からやってきた取材に派遣された報道部員の「デビット・コノバー一等兵」に見出されて写真を撮られ、これが陸軍の機関紙「ヤンク」に掲載されたことがきっかけで、商業写真家のポッター・ヒューズから、カバーガールになればと進められ、ハリウッド行くことになります!
その後の活躍は多くの方がご存知の通りです!
ちなみに、夫のジムはモデル業に理解を示さず、4年で二人は離婚しています。
1953年、映画「ナイアガラ」で演じたモンロー・ウォークが人気となり、「紳士は金髪がお好き」「百万長者と結婚する方法」「七年目の浮気」が次々とヒットしスターの道を歩んでいきます!
その後、1954年に元プロ野球選手だったジョー・ジマディオと結婚、翌年には離婚、1956年には劇作家のアーサ・ミラー結婚しますが、精神不安定になり精神病院へ入院するなど、さまざまなトラブルを経験します!
この結婚をしてた時期に妊娠しますが流産をしてしまい、さらに精神不安定になっていきます。
1961年に離婚、その後ケネディの妹の夫やフランク・シナトラなどを介して前年にケネディ大統領となったケネディを紹介され知り合い、不倫関係になります!
1962年8月5日、ロサンゼルスの自宅で、全裸で亡くなっているのが発見され、その死は公的には自殺とされていますが、CIAがマフィアに頼んで暗殺されたという書籍も出版されています!
マリリン・モンローのファッション
6月1日生まれのマリリン・モンローが、もし生きていたら、2018年で92歳になっていたのですが、当時、下品だと言われたファッションが現代女性のあこがれとなっているのも不思議な話です!
下品と言われようと、自分のファッションを貫いたその潔さが人気の秘密なのではないかと思いますが、1950年代に彼女が身につけていたファッションは、現代ではスタンダートになっています!
まずはスポーツルックから見ていきましょう!
ハイウエストで自慢のウェストを強調、さらに脚線美を見せるというファッション、現代女性も着こなしていますが、マリリン・モンローが生きている50年代に彼女が身につけていたこのファッションが、現代でも生きていることが驚きです!
そして、彼女のファッションで一番有名なのは、この衣装ではないでしょうか?
映画のワンシーンですが、強烈に印象に残るファッションでもあります!
以外ですが、マリリン・モンローはいち早くジーンズを取り入れたことでも有名です!
出世作となる、「紳士は金髪がお好き」では、こんなドレスファッションを見せています!
きっと、叶姉妹も、マリリン・モンローからファッションの刺激を受けていると感じられるドレスはこちら!
まさにセンスがいいと言える彼女のファッションで、あなたはどんなものが好みですか?
マリリン・モンローの美容法は?
ここからは、かなりの努力をして美貌を保っていたと言われるマリリン・モンローの美容法をご紹介していきましょう!
● 朝ホットプレートの上にカップを置いてそこにミルクを入れて温め、生卵2個を割り入れてフォークでよくかき混ぜたホット手作りプロティンを飲む
当時は現在のように質の高いプロテインパウダーなどはなかったと考えられますから、朝からしっかりと良質なタンパク質が摂取できるこのドリンクは、なかなか良く出来たプロティンドリンクです!
豊満なバストを維持するためには、良質なタンパク質は必要です!
肌を作る材料にもなりますから、理にかなった美容法でもありますね!
● 夕食はシンプルに牛肉かラム肉、レバーを購入して電気オーブンで焼いたものと、生の人参を4~5本食べる
非常にシンプルな食事方法ですが、これはかなりボディービルダーっぽい食事内容でもあります!
野菜とタンパク質を中心にしていて、夜はあとは寝るだけですから、余計な炭水化物は必要ないので、スタイルキープのためには、この内容の食事は体作りをしている人たちから見たら、OKマークが出るなと感じますが、もっと葉野菜が欲しいところです!
● トレーニングを行っていましたが、バスト引き締めるシンプルなエクササイズが中心!
美容法として、自慢のバストを引き締めるためのトレーニングをやっていたといいます。
5ポンド(約2・3kg)のダンベルを持ち、ダンベルフライというエクササイズをやっていました。
これは、ダンベルを持って両側に広げ頭の上で止めるという動作を繰り返すという美容法です!
大きな筋肉を必要としないので、引き締めるという目的ならば、このくらいの重さでも良かったのかなと思います。
なんといってもあのふっくらとしたふくよかなバストが魅力でしたから、筋肉をつけすぎるのはNGです!
● 猫するような仕草でストレッチをする
マリリン・モンローの美容法に、猫のポーズをするというエクササイズがあります。
こんなポーズをします!
他にはこんなヨガのポーズも美容法に取り入れていました!
● ダンベルベンチプレスをやる
この時代の女性なのに、すでに筋トレをしっかりとやっていたというのは驚きますが、美容法にこういったエクササイズを取り入れていたのは賢い選択です!
● 知らず知らずのうちに、エドガー・ケイシーの療法のマッサージを受けていた
エドガー・ケイシーとは、1877~1945年までアメリカで実在したサイキックです!
詳しいことは、こちらで記事にまとめていますので、お役立ていただければ幸いです!
このオイルマッサージは、彼女の美容法の中でもなかなか良い成果をあげたのではないかと思います!
個人的にも使用していますが、香りも良く非常に使い心地が良いです!
クリニックでは、オーラグロウとローズウォーターを5:1の割合で混ぜたものを使用していたと言われています!
● 定期的に浣腸(コロニクス)をやっていた
当時のハリウッド女優の多くが、浣腸を定期的にやって美肌を保っていたと言われています。
● 極度の乾燥肌だったというマリリン・モンローは、美容法として、ニベアやヴァセリンを使っていた
顔や全身に使っていたそうで、メイクの下地には欠かせなかったんだとか!
● 日光を避けて日焼け止めを塗る
ブロンドの髪が映えるように、彼女は美容法として決して日焼けをしないよう気を配っていたそうです!
● 髪の根本にジョンソンベビーパウダーをつけて、シャンプーをする回数を減らして髪の傷みを防いだ
現代でも、美容師などがドライシャンプーとしてベビーパウダーを使っているそうですが、これを頭皮に塗ることで、余分な水分を吸収し、髪や頭皮の水分バランスを整えてくれるそうですから、美容法としてマリリン・モンローがこれを使っていたのは理にかなった方法になります!
● 睡眠を大事にする
とにかく眠れるのならたっぷりと寝て、目が覚めても時間が許すなら2時間ほどベットでのんびりと過ごしていたそうです!
他には、あの官能的な唇は5種類のリップを使って作っていたそうです!
爪は透明のマニキュアのみで、輝かせる程度にし、色を付けるのは男性に好まれないとして塗っていなかったそうです!
● 2流にならないために、ちゃらんぽらんな生活を送らない
● ドレスや宝石に頼らない
● 週に一度部屋にこもって瞑想をする
● 寝るときはシャネルの5番を5滴だけ付ける
● 教養を身につけるために本を沢山読んだ
整形も受けたそうですが、魅力的に見せる努力を一切怠らなかったといいますから、マリリン・モンローの美容法は徹底していたようです!
今回は、マリリン・モンローのファッションや美容法について情報をまとめてシェアしていきました!